日記・長野市は、善光寺よりも水野美術館がやばい
電車に6時間半乗る
サイパンの思い出、南国への行きたさ
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10月に入っていよいよ寒くなってきて、南国に行きたい欲が半端なくて湧き上がる一方だ。海外のリゾートに行きたい(ニートの分際で何言ってんだ、という金言は既に友人界隈からもボロクソに言われているのでひとまず流す)。
海外経験はまた二度しかなくて、中国の上海とサイパンだけ。上海は大学2年の時、同じチャイ語を取ってた友人に上海万博行こうと釣られたのがきっかけで、サイパンは今年3月に卒業旅行として行ってきた(申し込み期限ギリギリで申し込んだ中で一番安かった)。
後者、3月の冬風吹き荒ぶ東京を旅立ち降り立ったサイパンの暖かさは、北国生まれで雪にまみれて育ってきた私に「ここって…天国…?」と錯覚させるに十分だった。
もうなんだこの海。
サイパンの海は、荒々しい日本海とは全然違った。当たり前だけど外国のやつだった。
申込み時、旅行代理店のお姉さんには「サイパンは…女性なら買い物もできるグアムがおすすめで…自然がメインですね、自然です」と暗に若い女性の購買欲は満たせませんよ的なことを言われたが、海外旅行初心者同士(友人は初めて)だった私たちにはビーチ周辺をぶらつくだけで十分楽しかった(むしろ土産以外に使う金がなかった)。
3泊4日のうち、島内観光を除けばほぼビーチかホテルの屋外プールにいた。それくらい南国の海が楽しかったのだ。
上の写真の島は3日目に訪れた、サイパン本島から少し離れたマニャガハ島という無人島なのだが、ここの観光ビーチの海は特に美しかった。
青い空と青い海が水平線の向こうで入り混じる景色を見たのは初めてで、シュノーケリングをすれば白砂に混じって間近に極彩色の魚が泳ぎ、木陰に休めば湿気のないさらさらとした海風が流れる。
私は完全に南国にハマっていた。
しばしば、沖縄大好き!ハワイ大好き!と公言してはばからない芸能人を見るが、多分それと同じパターンだと思う。南国特有の自然や空気感に持っていかれるのだ。自分の中の何かを。そして持っていかれたが最後、憧憬を抱かずにはいられなくなるのだろう。
あれから半年以上経ち、秋の訪れを如実に感じる昨今。その「持っていかれた」体験が、私を南国に誘っている。強烈なまでに。
調べてみるとどうやら、サイパンは戦前日本統治時代があったことや、時差1時間飛行機で東京から3.5時間という近さから現在でも日本人観光客が一番多いらしく(その次が中韓と東アジア勢が占める)、リゾート地ではグアムと並んで海外初心者には優しい場所らしい。
しかし島自体は小さく観光も半日でできるレベルだし、買い物するスポットもメインのガラパン地区にいくつかある程度なので、本当に自然やビーチを楽しむ人向けかもしれない。また島内観光時には島のあちこちに日本兵の築いた塹壕跡や戦車の残骸などが残り、そうした歴史背景に興味を持つ人もいるようだ。
それと日本人観光客が多いこともあってか現地人は皆親切だった*1。
例えばホテルビーチを散歩していた時ツアー業者に話しかけられ、オプショナルツアーの勧誘をされいなしているうちに何故か意気投合し、結局仕事抜きでその夜ビーチで飲んだりした。彼はやたらとスキンシップが激しかったためノンバーバルコミュニケーションについて爆笑しながら討論になったりと色々意味不明だったが、それも楽しい思い出である。今思えばただの酔っぱらったセクハラおじさんだった気もするが。
勿論サイパンは手放しで全て褒められるわけでもない。アメリカの自治領なだけあってアメリカナイズドな食べ物が多く口に合わない人もいるだろうし、グレードの高いホテルでも決してホスピタリティに優れているとは言えない。
しかしそれもまた文化の違いに過ぎないのだろうし、旅行の醍醐味でもある。負を差し引いても南国には魅力がある。
また青い空と海とが水平線で交わる風景をぼーっと眺めたい。今度はサイパン再訪もいいしグアム、ハワイ、バリ、プーケットもいいなと思う。
*1:日本人だと分かるとすごく親切だった反面、中国からの観光客に対して皆辛辣な感想を言っていたのが印象的でもあった。集団で押し寄せ所構わず騒いで汚すからだという。現在中国国内でも観光客のマナーが問題視されているらしいが、私が見た範囲でも確かに団体客は騒がしい傾向があるらしかった。
家で作るポテトフライ
プロフィール画像変えられるのを知って変えてみた。これ、地元が同県の人だったら分かるかも。
画像は変えられたけど、まだまだはてなブログの機能を使いこなせてない。編集アイコン見てたら「絵を描く」なんてコマンドもあるの初めて知った。試しに描いてみようとしたけどキーボードパッドじゃ文字すら描けない。
実家から米の仕送りが届いたのだけど、ジャガイモが大量に入っていたので最近はずっとジャガイモ料理を作ってる。ポテトガレット、そのまま蒸してバターと塩で、あと煮物とか。
で、一番はまってるのが皮付き厚切りポテトフライ。
よく洗って芽などを取り除いたジャガイモを半分に切り、3~4等分にする。全部切ったらラップなどにくるんで1分~2分弱レンジでチン。チンしたら水にさらしてぬめりを取り、キッチンペーパーなどで水気をよく拭く。
油にジャガイモを入れたら点火し、弱火で15分ほどじっくり揚げる。その後1分強火で揚げて色を付けて、よく油を切ったら出来上がり。
味付けは塩、コンソメ、青のり、ケチャップ何でもござれ。皮付き・厚切りなので外はカリカリしてるのに中身はホクホクしててお店のポテトみたい。先にジャガイモを油に入れてから揚げ始めることで、中の水分がじっくり抜けていい塩梅になるらしい。
このポテトフライをハンバーグの付け合わせにしてもいいかも。ソースが程よく絡みそう。
DQ6と今までやってきたゲーム
試験が終わってから暇すぎて、DSのDQ6をやってる。今は天馬の塔に向かうところ。
ドラクエは1,2,3,5,6,9をやってる。でもクリアしたのは3,5,9だけ。SFC版でも1,2は小学生には鬼畜難易度だったし、6はセーブデータを消すと兄に怒られたので怖くてできなかった。恐怖の音楽が耳に焼きついて離れない。
DS版が出てようやくまともにやりはじめたけど、上の世界と下の世界がこんがらがってくる。どっちでどのイベントが起きて、次はどっちのどこに行くんだっけ? と毎回分からなくなって攻略サイトを開き、ついにはそれを見ながら進めることになる。ゲームって何だろう、という気がしてくる。
5はバカみたいにやったのだけれど。SFCも、PS2も、DSも持っているし、DS版はビアンカ・フローラ・デボラ全員と結婚してクリアした。会話できるのが楽しい。
5に比べると6はストーリーが分かりづらいし、難易度も高い気がする。ミレーユとバーバラ、ボス戦になるたびいつも死ぬ。
あらためて自分のゲーム遍歴を振り返ってみると、ゲームを始めたのは小学生の頃だったと思う。
兄がいたので、我が家には大体のゲーム機は一通り揃っていた。FC,SFC,64,PS,PS2,DS云々。うちは自営業で親も普段子供に構っている暇がなかったし、田舎で遊び場もなかったからゲームは色々買い与えられていた。
保育園の頃は、5つ上の兄がSFC(大体マリオとかマリオカートとか)をやっているのを後ろで見ているのが好きだった。自分がプレイすることに何故か恐怖感を感じていた。
それはしばらく続いて、小学校に上がって近所の友達の家に遊びに行ったりするのだけど、そこでも私は友達たちがプレイするのを見ているだけだった。田舎なので校区が広く、歩いたり自転車で遊びに行ける範囲の子は皆男の子ばかりで、皆ゲームが好きで上手かった。私は下手だから見ているだけ。確かその頃流行っていたのはヨッシーアイランドとか、カービィのゲーム。
自分でやるようになったのは、そういうアクションゲーム以外もあると分かってからだ。
一番最初にはまったのは64の牧場物語2で、それから牧場物語シリーズをバカみたいにやりこんだ。SFCの1も、GBシリーズも、ハーベストムーンに3も。3がすごくつまらなくて、GCとかも持ってなかったからそれからしばらく離れていたけど、DSブームで我が家にもDSが来て、それからまた始めた。
でもDSの牧場物語はやることがすごく多くて疲れてしまう。いわゆるやりこみ要素というか、そういうものやシステムが複雑化しすぎて気楽にプレイできなくなった。だから実家に帰って暇な時やるのはいつもハーベストムーンとかだった。
あとはRPGならドラクエ以外にもいくつかやった。冗談でなく、大体のRPGは「レベルを上げて物理で殴ればいい」が通用したから。アクションゲームみたいに自分の反射神経とかが試されなくてよかった。
初めにやったのがDQ3とか5で、そのあとスーパーマリオRPG。これはバトルの時、丁度いいタイミングでボタンを押さないといいダメージ与えられなかったりするから少し苦手だったけど、キャラクターが可愛くて好きだった。
あと面白かったのはグランディア。PS版。世界観がすごく好きで、主人公のジャスティンが世界を旅してる感じがすごくワクワクした。宿に泊まって仲間とご飯食べるシーンが見られたり、キャラクター同士の掛け合いが面白くて。軍部の3バカ娘とかもコメディーチックで好きだった。BGMもよくて、メインテーマが中盤すごく重要なところで流れるんだけど、それが痺れるほどカッコいい。今でもニコニコとかで探して聞いてる。
でもグランディアは、ガイアと戦う直前で間違ってセーブデータを消してしまって、そのまま。せっかくリエーテ(最初から出てくるキャラなのに、仲間になるのが最終盤のキャラ)が加入したのに。
あとは逆転裁判シリーズも全部やってる。高校時代、ガラケーで月額315円くらいで少しずつプレイできるアプリがあった。それを居間でやっていたら兄が興味を持って、私からガラケーを奪い取ってやり始め、自分のケータイにもダウンロードして進め、挙げ句の果てには当時発売していた1から3まで全部ソフトを買ってきた。
私が先にハマったものを見て兄がハマって何か買う、というのはいつものことで、そうやって4も5も逆転検事1,2も全部兄が買った。
ストーリーはシリーズの集大成の3が一番好き。1,2をやってからの盛り上がりがすごかった。
4は世間で駄作呼ばわりされているけど、確かに一番トンデモ色が強くて私もあまり好きじゃない。ガリュー兄弟があまり好きになれなかったのも大きい。逆転裁判って、結局はキャラクターの魅力も大きいから。
5は4でメタメタにされた逆転裁判シリーズを、今修復してます!って感じの作品。個々で面白い、熱い!ってところはあるけど、1~3にはちょっと及ばないかな。どう見ても6に繋げる気満々だよなーって感じ。でも最後の黒幕が結構予想外の人。
アクションゲームは得意じゃないけど、唯一すごくハマったのはPS2のUNiSONっていうゲーム。世間ではクソゲー扱いされてて、今アマゾンで600円くらいで売ってるけど。
簡単に言うと音楽に合わせてアナログスティックで振り付けを練習して覚えて踊るゲーム。本番ではコマンドとか一切出ないので振り付け暗記しなきゃいけない面倒くささはあるんだけど、First LoveとかLoveマシーンとか知ってる曲ばかりだから結構真剣にやってた。ポップな世界観が可愛いし、踊る本番のコスチュームも可愛いし。
探したらすごくチープなホームページ(http://www.tecmo.co.jp/product/unison/unison2.htm)があって笑ってしまった。トリルの紹介ページの衣装が好きだったな。
中学高校くらいまではこんな感じですごく沢山ゲームやってた。家にいても暇だし、親の車以外に足がない田舎だったから。
で、いざ大学に来てみたらゲームなんて全然しなくて、やるといったら長期休暇で実家に帰ってきた時。それも運転免許を取ったら車乗り回してたから、ここ数年はやってなかった。
今も試験が終わって暇で、友達が平日空いてないから日中の暇をつぶすためにDQ6に手を出してる。私にとってゲームは所詮一人の時の暇つぶしで、趣味にはなりきれてないんだなって思う。
対して兄は未だにPS3とかWiiも買ってやってるし、友達と集まって遊んだりしてる。もう20代後半なのに。
兄みたいに周りと一緒にやるゲームも楽しいけど、それは同じ趣味の友達が多くないとできないなと思う。ましてや私は女だから、周りでゲームしてる女の子の友達なんてあまりいなかったし、いても兄弟が持ってるから少しだけっていう程度で。そして20代の今や、ゲームをする友人はどれだけいるだろう?
小学生の時、近所の男の子たちに交じって遊んだマリオパーティはすごく面白かったけど、もうあんな体験はできないんだなと思うと少し寂しくなる。
10月と実家と東京と
10月になった。朝晩の肌寒さがいよいよ極まってきた。いまいちどういう服装でいればいいのか分からずにいる。もうすぐコートを出すべきか。
今月、東京から引越して実家に帰る予定だ。
ニートのくせに何故東京でぶらぶら遊び呆けているかというと、そもそもはこちらで公務員試験を受験する、という目的があったからだった。大学卒業後の半年間(9月のC日程が終わるまで)はそのまま東京で勉強に集中する、という名目だった。
その実はどうかと聞かれればお察しなのだが、とにかくこれで目的は成った訳である。地元に戻る日がついにやってきた。大学受験も浪人して他県の予備校寮に入っていたので、およそ5年半ぶりに戻ることとなる。
人間は勝手なもので、過ぎ去った過去への郷愁に駆られる生き物らしい。
高校から浪人時代にかけて「ずっとこんな場所で暮らしたくない」と思っていた地元を離れ、いざ大学生となって東京に出てみれば、「実家に帰りたい」と寂しさがこみ上げた。一人暮らしに慣れても長期休暇の度にその思いを胸に帰省し、実家で田舎のしがらみにとらわれれば「東京に戻りたい」と思う。そして今、東京にあってまもなく東京を離れる身にある私は、「実家に帰りたくない」と思っている。
実家には実家の、東京には東京のよさがある。そのどちらにも惹かれるから、きっとこうして互いを惜しんでいる。それは自分でも何となく分かっている。
東京での生活は、狭い田舎社会で育った私の安っぽい価値観に変革を与えた。色々な人がいて、同じものを共有する仲間ができ、広くて新鮮な文化に触れた。社会の目の緩い「世間」の気安さに安らいだ。
実家は離れてみてその良さを知った。家族と暮らすということの有難さ。生まれ育った土地が自分の根幹に根付いていること。物質に溢れた都会から離れた田舎の美しさを、東京にいてしみじみ思い出す。
互いにそれぞれの良さがあり、その逆も然り。誰にとっても、勿論私にとっても、ユートピアというものは存在しない。何処に生き暮らしたとしても、それ以外を知ってしまえばそこは理想郷ではなくなる。だからこそユートピアは「何処にもない場所」なのだろう。
何もかも全てを惜しみながら、私は東京を離れていく。
「地元に帰りたい」「東京に帰りたい」この二つのせめぎあいを、私は今後も繰り返していくのだろうか。だとすれば、私の「帰る」場所とは一体何処にあるのだろう?
料理ブログじみてきた生活の、唐揚げ
今日は昼ごろまで寝ていた。前日もそんなに飲んでいないのに、大体いつも翌朝は眠りが深くて腹も空かない。胃が重いというわけでもないのだけど。
まあその後は常日頃と変わらず、だらだら洗濯してごろごろしての繰り返し。
そのまま夜まで何も食べずにいたせいかすごく濃いものが食べたくなって、特売日に買った鶏もも肉があったので唐揚げを作ることにした。
大学在学中から計4年半以上一人暮らしをしているが、揚げ物をするようになったのはここ一カ月のことだ。
9月の始め、昨日飲んだ友人と何故かうどんと天ぷらを作ろうという話になり我が家でうどんを打ったことがあった。初めての手打ちで道具もなく、麺棒の代わりに空いたワイン瓶で生地を伸ばすようなお粗末さだったのだが、そこそこうまい天ざるうどんができた。
その時の材料が大量に我が家に打ち捨てられていったので、その油や材料をそのまま放置するのも勿体ないとそれ以来少しずつ使っている。一人で揚げ物をするのは何となく苦手意識があったがいざやってみると意外と楽しい。
鶏肉300gを一口大に切り分けて塩を振り、10分ほど放置。袋にチューブにんにくと酒・醤油を大さじ2、砂糖を小さじ1~2ほど入れて混ぜる(しょうがも入れたかったがなかった)。鶏肉から水分が出てきたらキッチンペーパーなどでふき取り、袋に入れて揉み込む。30~40分ほど置いておく。
漬けたら余分な汁気を捨て、小麦粉大1.5を袋に入れて馴染ませる。こうすることで小麦粉が中身をパサつかないようコーティングするらしい。その後片栗粉を好みで大2~ほど入れて全体にまぶされたら油で揚げる。
ネットのレシピで見た、最初160℃で1分半→4分休ませる→180℃で40秒、という揚げ方を試したが、最初の温度が少し高めで火が通るのが早く、二度揚げのときに少し焦げてしまったものもあった。4分休ませる時余熱で火が通るので、ある程度は目視で確認すべきかもしれない。
鶏肉は結構小さめに切り分けたにも関わらず、ほとんどパサつきもなくジューシーな仕上がりになった。衣は薄めだったのでもっとふわふわ・サクサクさせたい時は先に卵を入れたり、最後の片栗粉を揉み込むのでなく皿などに取ってまぶしてから揚げるとよさそうだ。
酒と醤油1:1のレシピだと個人的には少し塩気が強い。2:1ぐらいで丁度いい気もする。
付け合わせは山盛りの千切りキャベツとキュウリ。
唐揚げは当然余ったので、明日みじん切りのネギと酢ベースのタレをかけるか、卵でとじてどんぶりにしよう。
特に何もしなかったり家から出なかった日は料理ブログみたいになるな。食に執着心の強いデブさ加減がよく分かる。
9時頃テレビをつけたら踊る大捜査線がまた再放送されていた。踊るシリーズは好きだがいい加減飽きた。シリーズコンテンツに頼り続けると未来は先細る一方だと思うのだが。